岡山県吉備中央町の「當番祭」に行ってきました。
国指定重要文化財の指定をうけている「吉川八幡宮」のこの神事との出会いは、作庭家「重森三玲」です。
ブログ重森三玲の故郷を訪ねてⅠ・同Ⅱ
で書いたように、この吉備高原の土地と人にはまってしまった私たちは、それらと切っても切れない関係にあるこの祭りをもう見たくて、見たくて!
昭和53年度版
平成26年度版
地域の方々は昭和43年に「吉川八幡宮文化財保存会」を設立し、「当番行事は、それぞれの年代にいろいろにアレンジされながら上古から江戸、明治、大正、昭和、平成へ連綿と続く吉川を代表する歴史を持つ神事であり、文化である」(『吉川八幡宮 當番祭り』より)との認識のもと、この神事を後世に伝えようと努力を重ねておられます。
この2冊の本は、祭りの詳細が写真付で丁寧に説明された、貴重な記録誌(「吉川八幡宮文化財保存会」発行・非売品)です。
この記録紙を読むと、眼前に見た祭りと共に、土地の人たちの熱さに感動を覚えます。
この祭り、10月1日から1ケ月にもわたって、珍しい行事や神事が繰り広げられるもの、大祭日一日だけではとても理解できるものではないのですが、地元の人はどなたもとても親切で、よそ者の質問に答え、案内してくださいました。
以下で、一部雰囲気を伝えられる・・かな?
『仮屋』
檜葉と竹で東西2ケ所に円形に造られ、二人の当番様(神人となった子供)の前には参拝者からのたくさんのご祝儀が積まれます。
注がれた祝いの盃をグイグイ飲み干しながら、介添さんたちが言うことばが これ ↴
お当番様が乗ってきた馬は神馬、注連縄の内につながれています。
神殿での神事の前には丁寧なお清めの儀式。
神人となった当番様は、常に本殿庇の間に着座し続けています。
御旅所への幸行
先導する猿田彦が竹で道を払いながら進みます。
力いっぱい持ち上げて地面に叩き付けては払う・・・お面のひょうきんさとあいまって、廻りからやんややんやの喝さいが起こります。
中学生くらいの子供たちの獅子舞。
足の運びや獅子の面の持ち上げ方が絶妙です!
祭りのクライマックス!「走り競べ」です。
当番様・傳守・介添・手振・脇立の順に役ごとに走ります。
足元はみなワラジ、尻っぱしょりをして・・・当番様も走ります!
朝から飲みっぱなしでフラフラでも、ワラジが脱げても走ります!
「垢離(こり)とり」の場にも案内していただきました。
当番さまが「みそぎ」をして神人となる場所です。
旧の塩垢離大明神があった場所がダムで水没することになり、現在の場所に移されたとか。
その威容に地域の人の心意気が感じられます。
近づいて目にしたものは、重森三玲の石組みを彷彿とさせるものでした。
豊かな石にあふれた土地です。
当番さまの家に行って驚愕!
屋根の2倍以上の高さがある「波区芸(はっけ)」・・・神が降臨する室。
遠くからでも、天の神様からでもよーく見える姿です。
根付きの竹を掘りだし、注連縄や薦(こも)を藁で編み、餅をつき・・・
強力な共同体の結束なくして出来る業ではありませんねえ。
植えられているのは石菖
供えられた「伏兎還餅(ふとまかり)」を見て、神社勤めのW子さん・・・「こんな巨大な伏兎還餅、見たことない!」と興奮!
当番様を中心に手で搗き、練って揚げて、伝えられた通りに作ります。
同行の3人、神人を出す家のしつらいとその労力を思い、しばし唖然・・・
当家の前の森につくられたこれは?
神社へ向けた鳥居か?なーんて言ってたら、当番様が乗る神馬を繋ぐ場所でした。
何から何まで・・・スゴイです。
古い形が残された祭りを見ることが好きになったのはなぜか、と考えるに、「ヒト」も悪くないなと感じたいからかもしれません。
形は変わっていっても残してほしい、そして時々訪れたい場所です。
コメントをお書きください