小浜、神仏習合に出会っちゃった旅

神宮寺住職様から「仏様に向かって柏手を打ってください」と言われた時、まさに『出会っちゃった!』という感じがこみ上げてきて、姿勢を正し柏手を打ってきました

 

一昨年はここで、昨年は白山平泉寺で、他にもいっぱい出会っていたのに、今回そうと意識できたのは、小浜がもつ歴史と住職様の「嵌ってた~」を連発された説明のおかげです。

 

本来は「みほとけの里 若狭の秘仏特別公開」の記事を見つけたので、「秘仏巡り」の予定だったのですが…

【画像はクリックすれば拡大します】


朝鮮半島との交易の玄関口であっただろう若狭、まずは国分寺だろうといういうことで、秘仏の寺ではないですがここからスタート。

 

釈迦堂、薬師堂(ここは9月の台風で床上浸水、無理をお願いして仮の板が渡されている堂内に入らせていただき、感謝です。)で間近に仏様を拝見し、堂々とした体躯と魅力的な表情を堪能。

 

あれっ? 史跡公園となっている境内に古墳(国分寺古墳)が!

その頂上には「若狭姫」が祭られた神社が建っています。

めずらしい!…Kの目がキランッと光ったような…

「国分寺」拝観のしおり

「国分寺」釈迦堂


木造薬師如来坐像(絵はがきより)

木造丈六釈迦如来坐像(絵はがきより)


まずは秘仏1体目は「龍前区有銅像薬師如来立像」

小浜市竜前の地域が所有する高さ50cmほどの像。

ちょっと前傾した体がふくよかな流線型を描き、納衣の裾のラインはそれは美しく、失礼ながら「こんな処に!?」と驚きました。

 

しかも「若狭国一宮本地宝治二年戊申六月日」の銘が背面にある…ということは若狭彦神社の本地物であることが、推測ではなく証明されてる!

「これはすごい!」 Kの興味は一気に古代史に、神仏習合に、どどっと流れ…

「龍前区有銅像薬師如来立像」しおり

こうなったら、「秘仏巡り」改め「若狭国一宮巡り」です。

 

ここ遠敷(おにゅう)川に沿って北から、下社・今行った蓮花寺薬師堂・上社・神宮寺・(お水送りで名高い)鵜の瀬・白石神社が、南(京都へ向かう峠)に向かって一直線に並んでいます。

 

 

 

まず下社である若狭姫神社へ。

現在、宮司様が常時おられるのはこちらだけ、上社は無人になっています。

 

楼門


本殿の屋根。

 

こーんな立派な能舞台もあります。

神門と瑞垣

内側に見えるのは御神木の杉「遠敷の千年杉」

樹高四十米というすっごい大木です。

大きな本殿が見えています。

 


次は上社の若狭彦神社

 

鳥居をくぐり、カーブした参道の先に楼門があります。

下社もそうですが、社叢のみごとなことに目を見張ります。

楼門


神門

本殿の屋根

下社のような本殿を保護する建物が造られていないので、構造がよく見てとれます。

 


下社もそうでしたが、楼門の左右に「随身(吉祥八人)」が安置されています。

 

「鎌倉時代の作。全国唯一独自の様式で、極めて貴重な存在である。若狭彦、若狭姫がこの地にご鎮座になったとき、お供をした眷属(郎党)の方々である」

(「若狭彦神社由緒記」より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

覗き込むと、おー!!

なかなかの迫力で迫ってきます。

 


そして「神宮寺」です。

なるほど、本堂には「注連縄」が掲げられています。

 

本堂内陣の須弥壇は3つに分かれ、中央に本尊の薬師如来、左に千手観音菩薩。

そして右にはなんと、神号掛軸が掲げられ、その手前には榊と三方が置かれています。 

 

由来と略歴を読むと、なぜ仏前で柏手かがわかります。

 

同時に、古代からの土着の神と、後に入ってきた仏とが関わってきた歴史が。

 

国家神道の名の下で、失ったものが日本中でどれほどあったかが。

 

神宮寺を守るため毀された、幾多の社殿の悲鳴が聞こえてきそうです。

 


男神(絵はがきより)

*どちらも一般公開されていないので見ることはできません

女神(絵はがきより)



境内は広大です。

本堂背後の山に向かう傾斜地には、素晴らしい苔と樹木が鬱蒼とした森を造っています。

そこかしこに、寺坊が立ち並んでいた気配が伺えます。

天然記念物「椎(スダジイ)」の巨木


本殿から20m程北にある仁王門。

 

車で行くと見落としそうですが、ここから本殿までを歩いてみると、いかに広大な寺院であったかがわかります。

両側に立ち並んでいたであろう寺坊や社殿が偲ばれます。


本坊とともに掲げられた「若狭鵜之瀬講社」の札。

 

脇から覗き込んだら立派な書院庭園が見えます。

 

後で伺ったら、江戸初期の作庭とか…

書院からお庭を拝見したい!…けど公開はしてないとのご返事…残念!


ここが本日の最終地点。

根来(ねごり)の白石神社

 

東大寺初代別当「良弁和尚生誕之地」の石碑が見えます。

 

神社の前を流れる遠敷川、その注連縄の渡された濃い藍色の淵、これが「鵜の瀬」です。

東大寺二月堂の若狭井に向け、聖水が注がれる場所です。

 

ここまで来ると、来春には「お水送り」を見に来ることになるかも!

 

今日はもう、神仏で満腹!

若狭のお魚を食べそこないました。


 

 

***追加です***

最後に行った場所、根来「八幡神社」を省いてはいけませんでした。

鵜の瀬からさらに1.5キロ南、ほぼ人家はこの辺で終わりかという処です。

お水送りの最初の神事「山八神事」が行われるところです。

 

てっきり「白石神社」で行われていると思っていましたが「南北朝時代の正平四年以降は、東大寺鎮守の手向山八幡宮を下根来神ノ谷に迎えて、その講坊(長床)で行うことになったのである。」(寺誌第一集 「お水送りとお水取り」より)とありました。

 

この寺誌、神事の事がとても詳しく記載されていて興味深いです。

「この山八神事は明治維新の国家神道の方針であった神仏分離廃仏毀釈による弾圧の時もひそかに続けられて、今日まで継承されている…」(同 寺誌より)重要な神事のひとつです。