2006年に【「応挙と芦雪」 -天才と奇才の師弟-】を奈良県立美術館で見て以来の憧れの土地ー串本。
京都から車で4時間の地に、なぜ今まで訪れなかったのか不思議なくらいです。
「芦雪‥」と言ったとたん、W子さんの相方さんも飛びついてきて、3人での二泊三日の熊野詣が実現しました。
熊野灘‥この本州最南端の海を眺めながら、芦雪はあれらを画いたのですね。
海を見て、ちょっと感激!
この虎、昨年の我が家の年賀状にも登場したことを覚えていらっしゃる方もおありかと‥
「読経は‥虎の目と龍の目とがちょうど私の左と右に並びあうことになる。私はそのうちこう思うようになった。虎と龍とが、それぞれ仏壇からこちらへ向けて飛び出して来て、読経の行われている空間を護ってくれているのだ」(「無量寺・応挙芦雪館」カタログより)
本堂にはすばらしい出来のデジタル再製画の襖が、往時のまま収められています。
そう、この空間で見たかったのです。
現物の襖絵は収蔵庫に保管されていますが、これもガラス越しではなく、立体的に配置されたものを間近に見ることができます。
W子さんが「マスク!」(唾が飛ぶのを恐れて!)と叫んだくらいです。
昭和36年に開館した美術館には、応挙・芦雪の掛軸や衝立はもちろん、伊藤若冲、白隠慧鶏らのすばらしい掛軸も、息がかかるほどの近さで(マスク!)見ることができます。
けっして交通の便が良いわけではないこの地に、近世絵画が今ほど注目されていない時代から、これらを維持してきた地域ぐるみの力量には頭が下がります。
もうひとつ驚きの作品!先々代の住職宛てに、”熊谷守一”が十二支を画いた年賀状がズラッと並んでいました。
熊谷大好きの私が思わず歓声をあげると、係りの方がにこやかに寄ってこられました。
画家であった先々代住職が熊谷と親交があったという話から始まり、寺や美術館の事を、それは愛しそうに話して下さいました。
地域に愛され、地域の誇りとして誕生し、維持されている事が感じられ、私も嬉しくなってきました。
宿に向かう途中、橋杭岩に月が昇ってきました。
美しい‥言葉は要りませんね。
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